2015年4月26日日曜日

ニッポンのジレンマ 教育について

先ほどNHKでニッポンのジレンマを見ていた。
といっても途中からしか見ていないので全容は正確には掴めていないが
想定される流れとしては大学入試改革における学力偏重をやめてコミュ力うんぬん、
という下りがフォーカスされていたのではないかと思う。

パックンことパトリック・ハーラン氏がアメリカでは初等教育から一貫して行われる
show and tell (各自適当なアイテムを持ち寄り、皆の前でそれを説明&質問に答えるもの)
というスタイルの授業(というかまさにクラス。実際、教員が一方的に講義=Lectureをするものではない)の話をしていた。
現在日本の理系大学(番組中では聞かなかったが、ググったところ東工大らしい)で
コミュニケーションか何かの"クラス"をやっているパックン曰く、
学生に質問を投げても誰も手を挙げないのは、それまでにそういうスタイルの
教育を受けていないからではないかと。

それに対し、日本では手を挙げさせるために手をあげる事を成績の要素したら
手を挙げるが、そういうシステムのクラスが終わるとやはり手を挙げなくなるという話が
別の人から付け加えられた。
つまり根本的なインセンティブの違いであると。
アメリカでは常に自己主張をし続けることが社会生活を円滑にする術であるが
日本では集団の中に「居ること」で安心できるスタイルの社会であるため
手を上げ自己主張するということは普遍的にポジティブではありえないと。

この論に納得できる一定の根拠はあるものの、これでは詰め方が甘いように思う。
日本においてこの手の「和を見出さないために」自己主張をしないという論は
そこら中で聞き飽きた話であるが、
まさかTPOに沿わないでどこでもだんまりを決め込むのが
常にふさわしいと考えている人はいまい。
もしそのように口では言っていても、それは然るべき場面で然るべき自己主張が
できなかった者が、その「(BestなBehaviorではなかったという程度には)失敗」を
無理やり正当化しているに過ぎない。
もっと言えば、そこで失敗を反省し改善を志すことを放棄し
「日本(人)」という枠組みを隠れ蓑に堕落しているのではないか。

昨今、メディアではとかく日本発の、日本人の、といった「アゲ」方を乱発している。
己の成長のためには良い点を認識することも大事ではあるが
悪い点と向き合いその理由を考え、どうすれば良くなるのかを考えることの方が
より難しく、そして同様に大事なことである。
抑圧された時代を生きてきた(と少なくとも本人らは感じている)者たちが
いくらか自己礼賛をして息抜きをしたい気持ちは分かるし
それは娯楽としても優れた快感をもたらしてくれるだろうが
何事も程度が大事である。

ということで、
こういった悪い点をエグる番組ももっと多くの視聴者に見てもらいたい。



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